和語、琉球語、アイヌ語を通じて”花”を言うナ行語「のんの、のーのー」は、和語、琉球語でも幼児語であり、花以外に多くの意味をもつ語であり、アイヌ語でも別に花を指すハ行語があるところから、これはもともと花を指すためにあった語ではなく何かの転用と考えられる。しかもこれら三姉妹語を通じてしっかり根づいている語である。
そこで和語における「のんの」の意味群に戻ると、やはり何やら偉い人にまつわることを言うことが第一義のようである。さらに闇夜の焚き火やたいまつ、綺麗な花、手の届かない星や雷などとなるとそこには一貫して高貴な人や気高いものに対する人々の崇敬の念や憧れといったものが感じられる。そうとなればこれは二拍動詞「のむ(祈む)」や「のる(祈る)」をつくるもとの一拍語「の」に思い至る。「のり(法*則)」や「のりと(祝詞)」の「の」である。
アイヌ語辞書の「のんの」の項を辿っていくと「花」を離れてすぐ「祈り」の意味に移っていく。特に”祈りの言葉”という意味の「のんの-いたく」という複合語がいくつも登場する。ここで「のんの」は”祈り”、「いたく」は”言葉”である。アイヌ語においても”花”の「のんの」は”祈り”の「のんの」であることが見えてきた。今はこれを繋ぐ資料はないが、切り離す見込みも理由もない。アイヌ語でも「のんの」はひとつで、和語と同じく「花」でもあり「祈り」でもあるであろう。なおアイヌ語では「のみ(祈み)」が今日に行われている。
琉球・沖縄語でも「のーのー(花)」と”祈り”を結びつける手がかりは見当たらない。だが琉球語で”祈り”とくれば直ちに「のろ(祝女)」が思い浮かぶ。「のろ」はこの土地では「ぬる」や「ぬーる」とも言われ、”祈る”意の動詞も「いぬゆん」と「ぬ」語化しているようである。それはさておき「のろ」こそは一拍語「の」の本来の意味を伝える言葉であると考えられる。何はともあれ、「のろ」は「声をあげ」て神に祈り、神のお告げを受けてそれを「声をあげ」て人々に伝える人物である。その昔の統治者の行動の原理、源泉はこれしかない。個人の恣意的な言葉ではなく、神意でなければ人々は聞く耳をもたなかったであろう。かくて統治者の言葉が「のり(法*則*告)」として人民の生活を律することとなった。琉球・沖縄では「のろ」の職務はいつか女性の専門職(祝女)に移り、体制に組み込まれて統治のひとつの手段となっていったという。もとの集落の長老たる「のろ」は神に仕える仕事を祝女に譲って「をさ(長)」に専念するようになった。
試みに上記の「の」を含むナ行渡り語の縁語図(動詞図)の一部を書き出して見る。”声をあげる”ことが根本の意味である。
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な(音)-なく(鳴く)「なく(泣く)」「な(名)」
-なす(鳴す)
-なる(鳴る)-ならす(鳴らす)
に(音)「に(瓊)/釈日本紀」
ぬ(音)-ぬる(鐸る)「ぬて、ぬりて(鐸)」「ぬほこ(沼矛/記、瓊矛/紀)」
ね(音)「ねなく(音泣く)」
の(音)-のぶ(述ぶ)-のべる(述べる)
-のむ(祈む)
-のる(告る)~いのる(い告る)「祈る」、「なのる(名告る)」
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これらの「音、鳴る」意のナ行縁語群のうちどれほどどのような形で和語や特に琉球語、アイヌ語に残っているか知りたいものである。
日常何気なく使う複合語「なだかい(名高い)」や「なのる(名告る)」は「な(名)」が「ね(音)」と同じ”音”の意であることを知って初めて理解できる。「な(名)」は音であるからこそ「高い」のであり、また音であるからころ口に出して「のる(告る)」のである。
アイヌ語では”名、名前”は「れ」である。これは紛れもなく和語の「ね(音)」であり、その(n-r)相通形である。詳細については和語、琉球語、アイヌ語における「r」音の複雑な挙動を総括するときに譲る。
さらに”銅鐸”の名で学校で習う古墳の出土品であるが、これは和語では上記の「ぬて、ぬりて」であり、本来は音を立てる道具であったと考えられる。上記「(あまの)ぬほこ」は「音矛」でもあり、これも別に論じる。
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| 和語 | 琉球・沖縄語 | アイヌ語
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花(ナ行語)|のんの |のーのー |のんの |
(ハ行語)|はな |はな |あぱっぽ、えぷい、(ぴらさ、へちらさ)|
宣告 |のる、のり、のりと祝詞|のろ、ぬる、ぬーる、いぬゆん|のみ |
名・名前 |な(音) |なー |れ〔「ね音」の(n-r)相通形〕 |
(つづく)