原初日本人が”多大”を言う語はハ行渡り語「は、ひ、ふ、へ、ほ」であった。これはおそらく口を大きく開けて発するハ行音の開放性がものごとの量的、数的、距離や時間的な”多さ”を表すものと捉えられたのであろう。このことを一目で了解がゆくようにまとめたのが下図である。ただ今のところ諸辞書をもとに追跡できるのは「は、ひ、ふ、ほ」の四語であって「へ」は該当しない。
【は】(多大)-【ひ】(多大→広)-【ふ】(多大→深/古)-【へ】( )-【ほ】(多大)
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さは(多) | ふか(深) | |
あは(多) ひろ(広) ふる(古) | おほ (大)
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ば ----- び ------- ぶ -------- べ --- ぼ
| | | | ぼろ(ぼろ儲け)
ま ----- み ------- む -------- め --- も (もふ思、も重、も面)
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さまねし(多) おも (おもふ思、おも重、おも面)
あまねし(多)
第一行には”多い、大きい”を言うハ行渡り語「は」「ひ」「ふ」「ほ」の四語が並んでいる。どれも本来的には”多大”を表したが、このうち「ひ」は時代が下がるにつれて面積的な広さに特化したと考えられる。同じように「ふ」は距離的、時間的な大きさに特化したであろう。従って数量的には両端の「は」と「ほ」が受けもったが、中でも「は」は数の多さに、「ほ」はものごとの大きさに特化した。
上図の上から下への列は時代の経過を示している。時代の経過の中では特徴的な音の変化が見られる。当初のハ行音、例えば「は」はまず「ば」と濁音化し、次いで「ま」と(b-m)変化(相通化)が起こっているのである。
「は」を例にとれば、本来的には多大を意味していたであろうが、上図を描いた時点(第一行)では既に”数”の多さを言うことに特化していたであろう。それがある時点で接頭語「さ」をとって「さは」と長語化した。「さは」はいつか(s-&)相通現象によって「あは」となった。しかしもとの「さは」をなくすことなく「あは」と両方が行われて今日にいたっている。「は」はいつか「ば」と濁音化し、今日に残る成語をつくらまいまま「ま」と相通化した。「ま」となってからは活発で、接頭語や接尾語をとって上記のような語をつくった。
「ほ」についても同様である。ちなみに「ほ」は一拍語として「秀、火、穂、帆、百、頬」など極めて多くの意味をもつが、中でも「秀」と表現した”優秀、偉大”の意とここで扱う”多大”の意を合わせもつことが注目される。「ほ」はまず接頭語「お」をとって「おほ」をつくった。「おほきみ(大君)、おほぶね(大舟)」などの「おほ」である。次いで「ぼ」となるがこれは今日の「ぼろもうけ(儲け/まwuけ)」に残っている。これはどこか汚い言い方のようで実は由緒正しい深淵な言葉であった。
次の「も」の時代になると状況は一変し思弁の世界にかかわってくる。動詞語尾「ふ」をとって「もふ(思ふ)」が成立し、それがさらに接頭語「お」をとったものが現在の「おもふ(思ふ)」である。おそらくは「もふ」の前にものやこと、言葉、表情などの”重さ”を言うようになったであろう。「おもし(重し)」である。「もと(元*本)」や「もとも(最も)」もここに入ってくるか。
上の図を見ると和語のつくりの精妙さに驚きを禁じ得ない。だがこのような仕組みはひとりこの”多大”を言うハ行渡り語だけでなく和語の全体に行き渡っているのである。もちろん上記のような動きが図のような形と順序で整然と起こった分けもなく、あくまでもひとつのモデルに過ぎない。だがすべての語についてこれに類した図を描くことによって程度の差こそあれ語の本来の意味を体系的に把握できるようになるであろう。
さてこれが琉球語、アイヌ語ではどのような状況にあるであろうか。残念ながら筆者には細かく追及することは難しい。だが”多大”をいう語はやはり琉球語における「うふ」、アイヌ語における「ぽろ」と和語のハ行渡り語に乗っている。
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| 和語 | 琉球・沖縄語 | アイヌ語 |
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大(ハ行語)|おほ |うふ |ぽろ |
藍(色) |さゐ/あゐ |えー | |
青(色) |さを/あを |おー(おーさん、おーるー) |しうにん(しwuにん) |
黒・暗 |くらし、くろし |くるー、くるさん |くんね、くろ |
新・白 |さ/さら、し/しろ |さ/さら、し/しるー、し/しろさん|し/あしり(新しい) |
名・名前 |な(音) |なー |れ〔「ね音」の(n-r)相通形〕 |
花(ナ行語)|のんの |のーのー |のんの |
宣告 |のる、のり、のりと祝詞|のろ、ぬる、ぬーる、いぬゆん|のみ(祈み) |
花(ハ行語)|はな |はな |あぱっぽ、えぷい、(ぴらさ、へちらさ)|
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