●はじめに
ここに「和語・琉球語・アイヌ語(三語)対照辞典」の一部を掲載した。ここに見られるようにこの三語は原始的な日本語から分かれ出た姉妹語であることは明らかである。だが御覧の通り辞典は作成の緒についたばかりで、規模も小さく乱雑極まりない。今後読者諸兄姉のご教示を得ながら充実を図って行きたいと考えている。
ところでこのような辞典づくりはおそらく初めての試みであり極めて唐突であるので、ここに至るまでの経緯と辞典の仕組み、同語関係の根拠、関連諸科学とのかかわりなどについて簡単に述べておきたい。詳細については「私家版 和語辞典」の解題において述べる。
私はかねて子どもの火遊びさながら日本語(和語)の古いところ、特に和語の語形と意味の関係を考えてきた。和語の特性として、和語にはひとつの子音とひとつの母音の組み合わせ(子音+母音)からなる「拍」があり、それが和語の基盤をなしている。ひとつの拍がさまざまな意味をもち、それが二つ三つと組み合わさって特定の意味をもつ「語」をつくっている。
本屋さんで売られている多くの国語辞典はこの「語」を五十音図の順に並べ、ひとつひとつの語の意味を解説している。理屈として拍ひとつだけの一拍語はその拍のもつ意味、二つの拍からなる二拍語は二つの拍のもつ二つの意味の足し算か掛け算によるものであろう。三拍語となると状況は非常に複雑になる。また最初から二拍、或いは三拍でひとつの意味をもつ語もあるであろう。
こうして和語の語形と意味を探るためにパソコンの登場とその発達に足並みを揃えすべての語をさまざまな基準で整列させ、分解し、分類し、組み替えて観察してきた。このようなことが言えるのはもちろんかなり後になってからのことで、それまでは手当たり次第にやみくもにいじり回していたに過ぎない。その結果の一部が前編の「私家版 和語辞典」である。
その過程で思いがけずアイヌ語に遭遇した。
●三語対照辞典
何かのきっかけでアイヌ語辞典を手にとることがあった。三年ほど前、行きつけの近くの図書館でのことである。今はもうそのきっかけというのも思い出せないが、ついでにぱらぱらと拾い読みをしていてふと気がついた、「何やこれは日本語やないか」。以来アイヌ語と当然のこととして和語を介してつながりのある琉球語について時間の許す限り細々とさわり続けている。
このことがあって後これら三語を結んだ形の語集、対照辞典の作成を思い立った。それを手なれたエクセルの上に展開することになるのは筆者にとってはごく自然な流れである。琉球語とアイヌ語については数多くの辞書、語彙集が公刊されている。入門者用から観光客向けのものなどさまざまである。さらにインターネット上には和語の訳のついたこれまた各分野の大小さまざまな語集が掲載されている。この事実を念頭に私がとった方法は次のようである。
目的は同一行に同じ意味をもつ和語、琉球語、アイヌ語の三語を並べることである。そこでまず左端のA列に和語を当て、いくつか間をおいて琉球語列、アイヌ語列の三列をつくる。和語列はもちろん平仮名である。次いで隣のB列には平仮名の和語に相当する漢字表記を当てる。基本はこれだけであるが、それに加えて後は好みによっていろいろな列をつくればよい。例えば語の長さの拍数列、品詞列、ローマ字列、語構成列、また語義に関する列には草や木、魚、毛もの、道具、身体部位や親族名称等々のさまざまな意味区分を入れることもよいであろう。ただ最後尾には長さを問わず自由に思いつきを書き込む”メモ列”が欠かせない。
後は琉球語、アイヌ語と和語との対訳語集を切りとって何も考えずひたすら貼りつけていく。そうしてA列について並べ替えを繰り返すうちに例えば「ねこ」については何十行も集まってくるが、それを整理して、ある行にA列「ねこ」、B列「猫」、琉球語列に「まやー」、アイヌ語列に「ちゃぺ」が並んでくるようになる。別の行には「ねずみ、鼠、えんちゅー、えるむ」などと並んでくる。しかしひとつの和語に複数の対応語があるものが多く、単純に切り分けられない場合も多く、多少の語学作業が求められる。さらに容易に予想されるようにそこにはおびただしい数の重複行が出現し、数知れない語の行間移動と行の削除といううんざりするような手作業が待っていた。
これは避けて通れない単調作業である。語が似ているも似ていないも一切関係ない。と言うより、ここは何も考えず機械的に進めていく作業でなければならないはずである。こちらは恥ずかしいことながら琉球語もアイヌ語も皆目知らないのであるが、そのことが却って幸いしたのかも知れない。余計なことを考えずこの単調作業を繰り返した。そうこうするうちにぼんやりと「和語・琉球語・アイヌ語対照辞典」が浮かび上がってきたのである。
このようにして一行一行に現れた和、琉、ア三語のつながりを検討していくことになるが、その前に語の表記問題に触れる必要がある。
●和語、琉球語、アイヌ語の表記について
上記の三語対照辞典では語の表記はすべて平仮名とした。検索上の問題もあるが、片仮名にする理由がないからである。琉球語、アイヌ語ともほとんど全ての場合片仮名書きされており、これが問題視されることなく通用している。このことは、動植物などのいわゆる”学名”を片仮名書きすることと合わせ奇異なことと思われるが、語学から逸れるので今は深入りしない。
またエクセルA列の和語の仮名書きは現代語にも通じる本仮名(いわゆる旧仮名)でなければならない。三語を照らし合わせる上で三語を通じて最も古い表記法である本仮名に寄らないことには意味がない。このことに関連して琉球語、アイヌ語とも、とりわけア行、ハ行、ヤ行、ワ行拍の表記には疑問が多い。日本語において本仮名がないがしろにされているためである。
琉球語とアイヌ語における「ちゃ、ちゅ、ちょ」「てぃ、とぅ」「ふぁ、ふぃ」などの表記は、個々の語を見ながらそれぞれ筆者が妥当と考える上記五十音図の中の音(子音)に直した。
最後にローマ字表記である。これは次に説明する語の意味を考える上で重要である。われわれは平仮名書きを見ながら容易にそのローマ字を思い浮かべることができるが、ここでのローマ字書きは中学校で習ういわゆるヘボン式とはかなり異なるので注意したい。要は冒頭で述べた”子音+母音”からなる「拍」をその通り子音と母音の二文字で表すことで、和語の特質を把握した訓令式を基本としている。ここで使われる五十音図は次の通りである。
あ(&a) い(&i) う(&u) え(&e) お(&o)
か(ka) き(ki) く(ku) け(ke) こ(ko) / が(ga) ぎ(gi) ぐ(gu) げ(ge) ご(go)
さ(sa) し(si) す(su) せ(se) そ(so) / ざ(za) じ(zi) ず(zu) ぜ(ze) ぞ(zo)
た(ta) ち(ti) つ(tu) て (te) と(to) / だ(da) ぢ(di) づ(du) で(de) ど(do)
な(na) に(ni) ぬ(nu) ね(ne) の(no)
は(ha) ひ(hi) ふ(hu) へ(he) ほ(ho) / ば(ba) び(bi) ぶ(bu) べ(be) ぼ(bo)
/ ぱ(pa) ぴ(pi) ぷ(pu) ぺ(pe) ぽ(po)
ま(ma) み(mi) む(mu) め(me)も(mo)
や(ya) yi(-) ゆ(yu) ye(-) よ(yo)
ら(ra) り(ri) る(ru) れ(re) ろ(ro)
わ(wa) ゐ(wi) wu(-) ゑ(we) を(wo)
註1)ア行拍は通常「a,i,u,e,o」であるが、これら母音の前には無音の音(子音)がついていると考えて「&」(アンド記号)をおき、上図のように二文字で書く。この&記号には音声学的な意味はなく、場所を埋めるための単なる記号である。
註2)ヤ行の「yi」と「ye」は、音だけあってそれを記す仮名が今適当なものがないのでやむを得ずローマ字のままとする。和語ではどちらも多用され、従来から「yi」は「い」、「ye」は「いぇ」と書かれているものである。実際の音声として「yi」と「い」の区別は、おそらく「yi」は唇を横に引っ張って発する鋭い「い」であったであろう。
註3)ワ行の「wu」も「yi」「ye」と同様である。ワ行の「wu」など聞いたことがないという声があるかもしれないが、「wu鵜、wu卯、wuさぎ兎、wuみ海、wuみ膿、wuゑる植、wuゑる餓」等々多くの「wu」語があることをもって諒としていただきたい。これらの「wu」は現代語ではすべてア行の「う」と表記されている。
なお上記のような五十音図にもとづいて議論する限り自ずから限界がある。だがこの五十音図無くして一切の議論が成り立たないことをもって今はこれに寄るほかない。
●三語の相似性の証明
和語の基盤は「拍」であるという冒頭の所説を思い出していただきたい。拍は五十音図上の仮名ひとつのことで、拍は「子音+母音」からなっている。ところで拍はそれぞれ意味をもっている。その拍の意味は「子音+母音」の語頭の子音から出てくるのである。
拍にあっては、子音が意味をもち、母音は子音が音声となって相手の耳を打つように物理的な作用を果たすほか、子音のもつ意味を修飾したり、子音のもつ大きな意味を細分化、具体化するほか文法的な役目も担っている。拍における母音のもつ複雑な役目の解明は今後の課題である。
ところで拍の子音は意味をもつとは言えただひとつの意味をもつのではなく、多くの意味を担っている。考えて見れば、和語の子音は「kgsztdnhbpmyrw」の14箇しかなく、これだけで森羅万象を写さなければならないのである。そうとすれば個々の子音はそれぞれ多くの意味をもたないことには間に合わない理屈である。事実その通りになっている。母音に比べ子音の方は場合の数は多いが働きは単純であり扱いやすい。
和語の語はこの拍ひとつ、また二つ、三つと連結してできている。それぞれ一拍語、二拍語、三拍語という。このほか和語には二つの拍が一体となってある特定の意味をもつ例がある。つまり二つの子音が組になってあたかも一つの子音のようにひとつの意味をもつ ”子音コンビ”という現象がある。
ここまで和語について述べてきたことが琉球語とアイヌ語についても言うことができれば、その三語は同語と断じてよい。つまりある一つ或いは二つの子音を共有し同時に同じような(よく似た)意味を共有しておればそれらは同語である。この観点から添付の小さなかつ雑駁な三語対照辞典を見ても少なからぬ同語を見出すことができるであろう。
和語には個々の単語のみならず、同一の子音を共有しよく似た意味をもつ同語のグループが存在する。これらは「縁語」として括ることができる。例えば「男」を意味するカ行語群、「女」を意味するマ行語群、土や石を言うサ行、タ行、ナ行に渡り見事な体系を示す「土石15語」などは原始日本語から語群のまま引き継いでいる。このことは和語、琉球語、アイヌ語の三語が単語レベルのみならず、縁語レベルでも同語性を示しているということであり、三語の親近性、即ちこれらがひとつの親言語から分かれ出た姉妹語であることを保証する。
●模写語
三語の同語を証明する上でもうひとつの可能性たる模写語(いわゆる擬音語、擬態語)について述べておきたい。この三語には揃って模写語がたいへん多い。和語には数えきれないほどあり、記録の少ない琉球語とアイヌ語にも二三百語は数えられるのではないだろうか。これらの語形は多彩ながらどこか定形的で、それが表わすところ(意味)も何となく理解できるものが少なくない。もっとも簡単な例ではひと頃テレビでよく耳にした二拍反復タイプの琉球語の「(ちむ:肝)どんどん」は、和語の「(むね:胸)どきどき」に相当するとのことで、これはアイヌ語の「とくとく(せ)」に当たるという。
(ついでであるが、アイヌ語の模写語の語末によく現れる「し/せ」は、和語の「yiふ(言ふ)」に対応するアイヌ語「yi/ye(言ふ)」の(y-s)相通語「し/せ」であり、これが習慣的に模写語の語末につくようになったものと考えられる。従って模写語自体を考える際はこの「し/せ」はとり払って差し支えない。原始日本語時代にはおそらくある種の模写語の後ろには「yi/ye」をつけて使われることが多かったのであろう。)
こうした辞書に載らない模写語を整理分類して三語間の対応表をつくることにより新たな三語対照辞典を手に入れることができる。模写語が重要なのは、それが単独であるのではなく、その多くは名詞や動詞などの辞書語と縁語関係で結びついているからである。鳥や動物の鳴き声の表記にも注目したい。これらふたつの対照辞典を合体することによって新しい地平が開けるものと思われる。
なお「模写語」は国語学者牧野成一氏の用語を借用している。
●方言
琉球語やアイヌ語について述べた本で方言に触れないものはない。要は方言の多様さを力説するものである。強力な中央政権が現れなかったことで個々の地域や人の変わった言葉が目立つからであろう。これら方言を採取、採集してくれた方々には感謝のほかなく、さまざまな方言辞典がある。方言の多様さは和語も同じで、昔から山ひとつ越えれば話が通じないとか、岬ひとつ回れば魚の呼び方が違うといった類の話にはこと欠かない。
ここに上げた琉球語、和語、アイヌ語対照辞典も大日本語の中の三つの方言をとり上げたというに過ぎない。同時にもっととり上げたいのであるが私にその力がないというに尽きる。いろいろ含みも多いであろう方言も本稿では単純に語形の問題として捉えておりそれ以上の方言問題は存在しない。
最終的には問題としたい諸方言、と言うより方言とされているものすべてを表記を統一してエクセル上に並べることである。極言すれば島々の言葉、村々の言葉をすべて並べるのである。何十列になろうが何百列になろうが厭うてはならない。日本語のエクセル化の完成であり、日本語学の出発点である。将来的にはそこにAIを導入することによって語形や意味について新しい知見が得られるほか、方言間の遠近を数字で把握することも期待できる。
●和語、琉球語、アイヌ語の歴史
その昔、南北4000キロメートルにわたる広大な日本列島に薄く広く日本人が広がり日本語が行われていた。それが上に見るように、いつか三つに分かれて南から今日の琉球語、和語、アイヌ語になったという確たる言語事実がある。言いかえれば、この列島に薄く広く住んでいた原始日本語を話す人々がいつの頃か、1)沖縄を含む琉球諸島に住む人、2)九州、四国、東北地方以南の本州に住む人、さらに、3)本州北東部、北海道、樺太、千島に住む人と三つに分かれて住むようになり、自ずからその話す言葉も異なって今日に至ったということである。
上記の事実を日本の長い歴史のどこに、どのように位置づければよいか。これは日本の歴史のどこかにきちんと嵌め込まれなければならない性質のものである。この三語はひとつの原始的な日本語から分かれ出たというはっきりした歴史事実をあいまいにしたままほかに日本の歴史があるべくもないからである。そうとなれば直ちに中学や高校で習った旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代・・・と並ぶ歴史年表が頭に浮かんでくる。そう、その年表のどこかにこの事実を押し込まなければならないのである。どうすればよいか。
●鬼界火山噴火
和語、琉球語、アイヌ語三語の歴史を探るためにわれわれに出来ることは、今から山野を掘り返して遺構や遺物を探すことではなく、また新説、奇説を立てることでもなく、図書館やインターネット上に山なす資料、言説の中から上記の言語事実を合理的に説明する筋道を見出すことである。この言語事実を完全に説明することは無理としても、”もっとも合理的”に説明できる既知の歴史上の場面を探し出すことである。筆者(足立)が選択した以下の場面は、今その当否は別として、それが”もっとも合理的”であると信ずるものである。同時にこれをおいて他には見当たらない。
原始日本語を三分する契機は鹿児島市の南方100キロメートルの海上にある”鬼界火山”の7300年前の巨大噴火であった。西暦紀元前5300年に当たる。この地球史上でも最大級とされる大規模な噴火による降灰によってほぼ日本全土、もう少し詳しくは偏西風によって九州、四国と本州の南半分ほどが20~30センチメートルの火山灰に埋まったと考えられている。その結果南方へ行くほど原野はもとより山林も枯死し、動植物の生存は不可能となった。このとき琉球諸島は位置的に難をまぬがれた。東北地方や北海道にいた人々、そちらへ逃げることができた人々は生存を続けることができた。やがて百年、千年単位の時間が経過するうちに降灰地の自然も回復し、そこへ人々が南北から再流入していった。この時この中間地帯へは大陸からも一定数の渡来人の流入があった。
言語的には琉球諸島及び東北・北海道ではそれぞれ噴火以前の日本語を引き継ぎ、地域特有の言語変化にまかせつつ今日に至った。琉球語並びにアイヌ語である。両者に挟まれた中間地帯たる九州、四国、本州南半分ではもとの日本語をベースとし渡来人の話す大陸語の影響を受けた言葉が成立した。和語である。
鬼界火山の巨大噴火については海洋研究開発機構(JAMSTEC)のサイトに『巨大海底火山「鬼界カルデラ」の過去と現在』『鬼界カルデラ総合調査』と題して研究成果が分かりやすく詳しく紹介されている。
また鬼界火山の噴火による降灰については、福井県若狭町鳥浜にある年縞博物館においてその歴然たる痕跡を見ることができる。隣接する三方五湖のひとつ水月湖の湖底に積もった堆積物を円柱状にくり抜いて年毎の堆積物の縞模様を写真によって見せているが、この地における鬼界火山の降灰が厚い層をなしていることが見てとれる。鬼界火山の噴火が7300年前に起こったという事実は、各地に残る降灰の物理化学的な研究とともにこの年縞博物館における堆積物の縞模様をひとつひとつ数えるという緻密にして確実な方法によって決定されたという。この噴火は詳しくは1995年から数えて7325年前(誤差±23年)のできごとだということである。
●「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」
アイヌ人と琉球人と本土人の遺伝的な関係について、平成24年、総合研究大学院大学と東京大学の研究グループにより標記の「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」と題する研究発表があった。その要旨は、アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近い、というものである。発表は次のようである。
「これまでの遺伝学的研究では、アイヌ人と沖縄人の近縁性を支持する結果はいくつか得られていたが、決定的なものではなかった。今回、研究グループは、ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)を示す100万塩基サイトを一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人36個体分、琉球人35個体分を含む日本列島人のDNA分析を行った。その結果、アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。」
言い換えれば、現代の日本列島人は、縄文人の系統と、弥生系渡来人の系統の混血であり、アイヌ人から見ると琉球人が遺伝的に最も近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。これは和語、琉球語、アイヌ語三姉妹語説を支持するこの上ない強力な支援材料であるであろう。
このことで思い出すのは、沖縄を訪れたアイヌ人が沖縄の風物に接してそこに「非常に懐かしいものを感じた」という感想を述べたということを読んだことがある。7000年の時間をおいて、故郷に帰ったような気持ちになったというものである。詳しいことは忘れたが、間違いを恐れずに言えば、これは上記の研究発表を行った一人で当時の総合研究大学院大学教授斎藤成也氏の古い書きものであったと思う。氏の関心の深さが感じられる。
最後に語学の問題として、「7300年」という時間が原始日本語から今日の和語、琉球語、アイヌ語に至るまでの言語変化を過不足なく説明するかどうかがある。
●原始日本語とその分化
ここでは7300年前の言葉を”原始日本語”と呼んでいる。たかだか七千年前の言葉に”原始”と言うのはいささか抵抗が感じられる。世界のいわゆる四大文明がその萌芽をきざし始めた頃に当たる。しかし日本人が登場したとされている3/4万年前から7300年前までの長い間にこの土地で生まれた言葉(日本語)に大きな変化を及ぼすようなできごとがあったとは考えにくい。大陸から稲作がもたらされて、それに伴って多少の新語が入って来たであろうが、それが言語に影響を及ぼしたかとなるとそれは考えにくい。漢語の流入も大事件であるが、和語への影響は考えにくい。また和語の歴史を通じてその間に起こったであろうさまざまな小変化を探る手段もないことをもって、敢て原始日本語と呼ぶゆえんである。その原始日本語が7300年前に三分化した。
アイヌ語(語の形態から見て日本語の古形をよくとどめている。)
/
原始日本語 - 和語 (動詞を中心に語の体系化が進んだ。)
\
琉球語 (シナ語と和語の影響を大きく受けた。)
↑
7300年前
ここでは大陸からこの列島へ人が渡来し定住してのちこの地で形成された言葉を対象としており、その言葉の前身を問ういわゆる日本語の系統問題は関知しない。
●最後に
最後になるが国のレベルでは既にアイヌ語は”日本語と系統の異なる言語である”との結論が出されている由で、そのことについて簡単に触れておきたい。ウポポイ(民族共生象徴空間)「国立アイヌ民族博物館」サイトの中の『アイヌ文化について』のページの冒頭に次の記述がある。掲載の期日は、これが博物館の一般公開と同時とすれば”令和2年7月”ということになる。
<引用開始>
アイヌ文化について
アイヌ民族は日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族です。日本語と系統の異なる言語である「アイヌ語」をはじめ、自然界すべての物に魂が宿るとされている「精神文化」、祭りや家庭での行事などに踊られる「古式舞踊」、独特の「文様」による刺繍、木彫り等の工芸など、固有の文化を発展させてきました。古い記録から伝統的な踊りを復活させようと取り組む人たちや、新しいアイヌ音楽を創造する人たちも増えています。
ことば
アイヌ語は北海道、樺太、千島列島などのことばで、日本語とは別の言語です。「~が」「~を」「~する」の順に単語を並べるなど日本語と似ている部分もありますが、文法的には異なる部分が多くあります。かつては口頭でのみ使われてきましたが、現在は、従来のカタカナにはない文字(ト゚、ㇰ、ㇷ゚、ㇵなど)も使いながら工夫して表記されています。明治以降の近代化の過程によって失われていき、2009(平成21)年、ユネスコによって消滅の危機にある言語と位置づけられました。
<引用終了>
実のところ筆者がこのサイトによってこの事実を知ったのはつい最近のことである。それまではアイヌ語は宙ぶらりんのままであると何十年来信じてきた。それがいつの間にか異民族の異なる言葉となっているのを知って心底驚いた。それで納得がいったのはどこの本屋へ行っても図書館を覗いてもアイヌ語の本は日本を離れて遠くアジア諸国の本の棚に並べられていることである。時々訪れるターミナルの大型書店で或る日近くにいた店員さんに文句をいって怪訝な顔をされたことを思い出し大いに無知を恥じた。
筆者がここにこのような文章を綴るのは国の学術判定、政策判断に立ち向かうことになるが、そのような意図から出たものでないことは上記の通りである。単純に琉球語、アイヌ語の日本語との同語論を述べて読者諸兄姉の教示と判断を仰ぎたい。
足立晋
(2023年12月17日 於東京都小金井市)
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